朝も昼も晩もキッチンに立ち、思わず見とれてしまう立派な有機野菜を愛する人のために日々料理する中で生まれたのは、胸いっぱいの創作の喜び、食へのさらなる情熱、もっと知りたいという思い。それらが大きくなればなるほど、同時に胸の中で育っていったのは、すべての始まりである土そして種と私のディスコネクション、距離感。土、種。それらを理解しなければ、どんなに美味しい一皿が作れても、なんとなく食を語ることができても、それはうわべだけの話であるということ。土と種の奇跡、美しさを心で感じられるようになりたいという焦燥感。
アメリカ合衆国という、家を出ると遺伝子組換え食物が70%を占める危機にある国で1年半暮らし(そしてこれからも暮らし続ける国で)、この問題にどうやって向き合っていけばいいのか。私の役割、すべきことは何なのでしょうか。自分たちはそのようなものを食べない、買わない。そんな風に自分や自分の家族を守ることはできるけれど、そのように自分の安全性を確保するだけではいけない。私も他人も、一つであるのだから。根本的な解決をしない限り、私は決して本当の意味で幸せになることもできないでしょう。一体どうしたらいいのか。
答えを見つけたい、答えが出なくても道を見つけたい。その思いを無視することはできませんでした。無視し続けることは、命の本質部分から目をそらし続けることであると思ったのです。
急であり、同時にとても自然な決断で今までのブランディング・コミュニケーション事業をたたみ(このウェブサイトの変更はまだ手付かずですが後々)、自分の人生の新しい始まりとして9月の半ばから1ヶ月、世界的な環境活動家・ヴァンダナ シヴァ氏の有するインドのNavadanyaファームで生活をし、朝から晩まで「食べる」ということを土そして種、そして生き方から考える機会を得ました。
世界各国から集まる様々な背景を持つ人々と共に暮らす一ヶ月は、それそのものがbiodiversity(バイオダイヴァーシティ 生物多様性)の意味、つまり多様性があるからこそ成り立つ<いのちの循環>を体現しているかのようでした。多様性、つまりそれぞれが違っているからこそ、進化し、支え合い、理解しようとする心が生まれる、思いやりが生まれる。そしてそれが多様性の描き出す本当の美しさである。1500種以上の農作物が育つファームの中に立ち、そして様々な国の人々と暮らす中で、そう感じました。一人で生きている生物は一つもないということ、モノカルチャー(単一文化)の危険性、自然を全て理解しようとするのは不可能であるということ。ここには書ききれないメッセージが、日々言葉を発することのない自然からもひしひしと伝わってきた30日間。種とは全ての生物の生存そのものなのだ、心から理解することができた30日間。全ての瞬間が、とても美しかった。
ここで受け取った沢山の智慧、そして知識は、皆さんと共有していきたいと思っています。
また、「いただきます」と手を合わせて感謝をする日本の文化を、なんと美しい習慣だと多国籍の友人から褒められたのは一度や二度ではありません。「いただきます」その短い響きの中に多くが物語られている。日本人として、この心そして精神が示す生き方を世界と分かち合っていく。そんな日本人としてのミッション。
まだ形はできていませんが、今自分が正しい道に立っていることははっきりとしています。手放すこと、素直な決断で手に入れた幸せです。振り返ることもありません。
単純に人間は自然の一部であるということを理解すると、それはこの上なく幸運なことであると感じます。共に生きようと語りかけてくれる友がいるのだから。でなければ人間は孤独であるでしょう。
地球を裏切りたくなくて、この先そんな道を作っていきます。
Food begins as seed.
The seed is sacred.
Food is sacred.
食べ物とは種から始まる。
そしてその種は神聖なものである。
よって食べ物は神聖である。