コップ一杯の水、暖かい寝床、そして時間通りにやってくるバスのありがたさ。
人と関わることが出来るという奇跡。一人では決して生きていくことが出来ないという事実。
今年、長い長い旅に出る。
その前に、バックパックとちょっとの不安を背負って、もう一度そんなものを心底感じたい。
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コップ一杯の水、暖かい寝床、そして時間通りにやってくるバスのありがたさ。
人と関わることが出来るという奇跡。一人では決して生きていくことが出来ないという事実。
今年、長い長い旅に出る。
その前に、バックパックとちょっとの不安を背負って、もう一度そんなものを心底感じたい。
サンタクロースを11歳まで本気で信じていたのは、誰がなんと言おうが、その存在を信じていたからでした。根拠は必要なく、自分がその存在を信じていたからです。
夜空の下を走る度、本当は空というのは星屑で隙間がないほど埋まっている、ということを思い出します。旅の途中、砂漠で夜空を見上げながらひとり眠ったあの日、そこには確かに、星屑で埋まった黄金色の空がありました。そんなこと科学で証明されていなくても、それを見たと思うし信じています。実際に、そこには無数の星があると信じて空をずっと見つめていたら、東京の空であってもだんだんと沢山浮き上がってきます。
見えると思って見ようとするか、しないか。私という人間はそれを信じるかどうか。きっとそんなシンプルなこと。
自然と調和できた時、全てはあるべき形になっていくものだと思います。出会うべき人と出会い、向かうべき場所へ導かれていく。流れるように、とても自然に。
体を通してそれを感じるのは、宇宙の法則にのることができた時、余計な力をかけずとも目的地に到達できる瞬間。引力・重力・月の力・太陽の力・風の流れと一体になることが出来た時、私の体はひとつの地点に達し、とても心地よい状態になる。ヨーガのプラクティスの中でそれを感じます。
旅に関しても、自然と向かうべき目的地には引寄せられ、そこにたどり着くと、以前から知っている場所のような感覚を覚えます。3年前初めてインドに向かった時もそうでした。大好きだったアンダルシアも、南仏も、スイスのニヨンの街も。
自然に身をまかせる。調和を保つ。それは努力をしないということではなく、大切なのはその「自然」がどこにあるかに気がつき、そのなかで日々を最大限に生きることだと思います。
導びいてもらって、今年の初めセドナというエネルギー溢れる地に立っていました。そこでわたしは、大地のように「今この瞬間」を含めたすべてを受け入れること、その中で社会における自分のあるべき姿をまっすぐと追求することを美しいと思い、今年をどのように生きるかというひとつにその言葉を加えました。
9歳の頃経験した阪神大震災から20年の今日、生きているという今この瞬間に向き合い、そんなことを思います。
1月1日の朝。アリゾナ州セドナにて。
朝日を浴びたくてパジャマのズボンで飛び出すと、そこは一面の雪景色。
それは、とても穏やかな光に満ちた一年のはじまりの朝でした。
一昨年は、双子の妹と神戸の山の裏にある牧場の高台にのぼって。去年はひとり、南インドのムナール(素晴らしい場所ですよ)の山の上でぶるぶる凍えながら。今年は、カリフォルニア州のビッグ サーというワイルドな自然にあふれた場所で。
神秘を感じる日の出をみた年は、その一年を振り返ったときすごく眩しい気がする。来年はどうかな。
(写真は今年一番に見た朝日。)
兼ねてから参加したいと思っていた “Dialogue in the Dark(www.dialoginthedark.com)”に、先日やっと行くことが出来た。
視覚障害をもつガイド、つまり暗闇のエキスパートに導かれ、90分ほど全く見えない闇の世界を進んでいく。私の訪れた時は「僕らの夏休み」がテーマで、祖父の家を訪問するというシチュエーション設定だった。竹やぶを通り抜け、公園を歩き、縁側で風鈴の音を聞き、畳の部屋で一服し、喫茶店では羊羹とお茶も楽しんだ。
この暗闇の旅で、何を感じるか。それは十人十色に違いない。一緒に参加した私のパートナーは日本語が分からないため、きっと私の経験したものとは全く違う暗闇体験をしただろう。言葉が分からない分、もしかしたら触覚に頼る暗闇の旅をしていたかもしれない。
プログラム最後に暗闇の喫茶店で休憩をした際、私は頭の中であるひとつのカフェの風景を描いていた。それは、毎晩ランニングをする際に傍を通り過ぎる馴染みのカフェの光景だった。何故だか私は、今自分が座っている喫茶店は、そのカフェの様な場所であると考えていたのだった。
その時、自分は自己の経験や記憶に思ったより大きく影響されながら日々を生きているいうことを知った。無意識のうちに、目の前の世界を自分の経験や記憶という絵の具に左右されながら描き、見ている。
それはとても危ないことだと気がついた、けれども知らないことは想像すらできないのだから、ある程度仕方のないことでもあると思った。
だからこそ、出来るだけ旅をし、言葉を知り、未知を知り、色々なものに手で触れ、沢山の感情を経験することが大事だ。目の前の世界をわずか数色の絵の具だけで塗り上げることを避けるには、きっとたくさんの絵の具を揃えておくといい。
その中から、「どうやったらこの瞬間を最も美しく解釈できるだろうか」と考えながら絵の具を選び、美しい作品を描いていったらいい。多くの人が幸せを感じる絵を描いていったらいい。
暗闇の中で、その日私はとても沢山の色彩に出会った。
旅をすると、心を動かされるものに出会う。それはほとんど無形のもので、笑顔だったり、美しい瞳の輝きだったり、にじみ出る心の温かさだったりする。もしくは自然であることが多い。
それらに共通することは、それらが「今」という瞬間を最大限に生きるものである、ということだ。
人を幸せにする笑顔のあの人は、今を楽しんで生きている。明日への不安、過去への執着はそこにはない、彼は今を生きている。
思わず覗き込みたくなる瞳の輝きを放つ子どもの目、その子どもたちは今を一生懸命生きている。
おいしい料理をつくってくれたあの人も、目の前にある食材にまっすぐ向き合っていた。食材を手に、他のことを考えるなどしない。それがいのちを扱う人がとるべき姿勢である、そして食物への感謝とは目の前にあることにまっすぐ向き合うことだと、その時知ったものだ。
自然は今を最大限に生きる。太陽が降り注げば、その光を一心に受け止めて光合成しようとする。雨が降れば、その恵みの水を全身に浴びる。風が吹けば、その通り靡き身を委ねる。その姿に私たちは感動する。
今を最大限に生きなければ、思い出したくなる「過去」など存在しない。わくわくする「未来」もない。
「今」、強く願いたい。努力したい。目一杯挑戦したい。笑いたい。そして感謝したい。
スペインはアンダルシア地方、シエラネバダの山の上。「こんな場所を、ずっと夢見ていた」足を踏み入れた瞬間、そう思わずにはいられなかった小さなレストランがあります。残念なことに昨年その扉を閉じてしまったこの場所をせめて書き残し、夢のようなその場所があったことを記しておきたいと思います。
My life is my message .
by Mahatma Gandhi (マハトマ ガンジーの言葉)