赤ちゃんとの暮らしが始まってもう直ぐ3ヶ月、気がつけば冬時間が始まり、カリフォルニアの市場には冬のシトラスが並ぶ季節になっていました。
最近は出産前に買い揃えていた赤ちゃんの服がもうすっかり小さくなり、日々の成長を喜ぶと同時に、既に小さくなったその服を見ては少し寂しくなったり。2度と戻らないこの瞬間瞬間を大切にしよう、そう思いながら日々の授乳をしたり、オムツを替えたり、お散歩に出かけています。この頃は表情がとても豊かになり、おしゃべりも盛ん。お話しするとキャッキャッと沢山の笑顔を見せてくれるようになりました。
生まれてきてくれてからこの3ヶ月の間に、赤ちゃんの言葉もわかるようになりました。この泣き方はオムツ、この泣き方はゲップかな、眠たいんだね、ただ抱っこしてほしいんだなあ・・・と。そんな赤ちゃんとの日々のコミュニケーションの中で感じること、それは人間の持つシンプルで根源的な望み。つまり人は誰かに役に立ちたい、愛する人を幸せにしてあげたいだけなのだ、ということ。
赤ちゃんが伝えてくれる小さな望みを一つ一つ叶えてあげること。それが将来、小さなこの子が人を信じる力になるのだと思うと、日々の小さなお世話の中にある大きな意味を知るのです。
信じる、についてというと、私がどんなボサボサの髪でも、ひどい格好でも、赤ちゃんは無条件に母親の私を信じてくれますね。どうしても手が空かなくて少し泣かせてしまったときも、側に行って「ごめんね」と抱きしめると「お母さん」と言わんばかりの表情で胸に顔をうずめてくる。そんな時は、その無条件の信頼に対して私がこの子に与えてやれるのは無条件の愛なんだと、信頼と愛の関係を学びます。
赤ちゃんはエネルギーに敏感ですね。日々、できる限り自然の中で感覚を刺激してやりたいと思い一緒に出かけますが、緑の中で伸び伸びさせてやると、クークーと盛んにおしゃべりを始めたり、手を空に向かって伸ばそうとする。風が吹くと、何かを考えているかのように聡明な表情を見せる。嬉しいんだなあ、気持ちいいんだなあ、とわかります。だからこそ、できるだけそんな中で毎日を過ごさせてやりたいと思います。プラスチックや派手な色のおもちゃで赤ちゃんを囲ってしまうよりも、自然の色や音、そしてぬくもりで日々を満たしてあげたい、そう思います。
日々寝食忘れて、情熱のままに働いた20代。そして、母となった30代。「お母さん」というタイトルを得たことを今までのどんな仕事よりも一番誇りに思い、今はただ、私の母がそうしてくれたように、この子が振り向いた時には必ずそこに笑顔でいるお母さんになれますように。そんな思いです。
まだ始まったばかりの新しい日々の最中に。