人一倍、光に魅せられていると思います。おそらくそれは、いつも生きてきた場所に光が溢れていたからだと思います。
思い出せば私の半生を過ごした神戸の実家の部屋には、大窓があってそれに面して双子の妹と二人勉強机を並べていました。机の上の本も何もかも日焼けしてしまうぐらい常に光が差し込んでいました。いつも妹とその机の上で一緒に絵を描いていると、母親が布団を叩きにきて。母が窓を開けた途端、布団に移った太陽の匂いが部屋いっぱいに溢れたのを覚えています。一階のリビングも、大きなガラス窓があってそこからいつも光が差していました。
子供の頃はそんな中で育ちつつ、実は太陽の光が苦手でした。皮膚疾患があったので、自分の顔を照らされることにためらいがあったのだと思います。一方で外国の映画やミュージックビデオを観ては、その世界に溢れる異国の光(特にアメリカ西海岸の光)にひどく憧れていました。
15歳でダンスのためにオーストラリアに渡った時も、住んでいたSandringhamという街はビーチ沿いにあって、通学バスの中はいつも眩しかった。
アメリカの大学留学時代も、窮屈な寮の部屋でしたが勉強机のとなりに窓があっていつもそこから朝日と夕日を届けてもらっていました。ルームメイトのJenniferに最後プレゼントした手作りスクラップブックの中表紙にも、そんな写真を選んだ記憶があります。
東京で暮らし始めてからは2つの場所に住みましたが、最初の小さな三鷹のアパートも窓に面していました。最後に住んだマンションも木漏れ日がとても気持ち良かった。
今住んでいるカリフォルニアの光。何故かとても懐かしい光。この9ヶ月、このカリフォルニアの光に魅せられて、新しい何かが私の中で生まれています。
もう少しして創作をする時がきたら、光、風を言葉にしたい。それらは香りという記憶も運ぶから。
すべての人間が分かち合うことのできる自然の美しさという言葉は、笑顔というユニバーサルランゲージと同じ。光はきっとそんな言葉になる。