母とミモザ

 
Mimosa Acacia

「人の嫌がることはしたらあかん」

「自分が嫌じゃないことも、もしかしたら人は嫌かもしれへん」

想像力(imagination)、という言葉を耳にすると母が小さい頃からずっと私たちに言っていた2つの言葉を思い出す。勉強しなさい、とは一度も言われたことはなかったけれど、これだけは何度も。

台所に立って人参を洗うと、また母を思い出す。いんやん(陰陽)料理を実践していた母の料理の野菜はいつも皮付き。小さい頃は、そんな皮付き人参のカレーが好きではなかった。お米も黄色がかった胚芽米で、お弁当を開けた時は白米のお弁当の友達にそれを見られるのが嫌で隠して食べていた。そんな私は今、人参もいつも皮付きで調理し、母のことを思い出しながら毎日キッチンに立つ。

ミモザ アカシアの季節がやってきて、黄色く小さな花を見るとまた母を思い出す。私がフレグランスの会社に勤めていた時も、私が帰省して香水の香りをさせると苦手そうな顔をみせていた母。それでも、「Mimosa pour Moi(私のミモザ)」という香りは母に必ず似合うと思い、5年ほど前にプレゼントした。陽だまりのような、ホロホロ小さくて可愛らしい香り。大きく歯を見せた笑顔ではなくて、小さな微笑みを感じさせる香り。使ってくれているかな。

洗濯物をたたむ時も、掃除をする時も、野菜を切る時も、「そんなやり方じゃあかんでしょう」と母の声が聞こえてくる。「はーい、ごめん」と心の中で応える。

 

ミモザの季節に。